上白糖、大盛りで

特に益はないです

そして寝る

人間には何をさせても本当にダメっぽい期間というものがあって、ここ2週間ほどそこにいます (前回の記事でも似たようなことを言っていた気がする) 。大体の原因は、考えすぎか考えなさすぎのどちらかなんですけど、実際どちらであるのかは期間を抜けないとわからないもので、何なら抜けてみてもわからないときも少なくなく、難儀なものですねと毎回他人事のように思います。とはいえ、あまり長く続くと、ただでさえ多少の怪しさが見え隠れする社会適応レベルが、限りなくゼロに近づきながら朽ちていくので、早く抜けた方が良いのでは? と仄かに焦る気分もあります。そういうわけで、ブログです。頭のリハビリになることを期待しています。キュルキュルキュル (駆動音)。

 

 グリューワイン

言ってるそばから眠くなってきたので、とりあえずシャワーを浴びてきてグリューワイン (ボトル1000円) を温めてきたところです。グリューワインをご存じですか? 私は存じていませんでした。ホットワインのことだそうです。グリューはドイツ語で「明々光る」的な意味があるとか。最初「ぐにゅーワイン」と空読みしてました。飲む。熱い。

 

about writing

「2017年現在の環境でわざわざ文芸部に入る意味があるのか」問題というものがあります。これは「文章を書かない人間はあまり文芸部に近寄らないし、文章を書く人間はとっくに別の場所で書いているのでやはり文芸部に近寄らない」という問題です。以上。

以上で済ませると今後が厳しいので何か考えなければいけないんですけど、そもそも、文芸というもの自体が連帯に向いてないですよね。書く作業は基本ソロプレイだし、出力物は他媒体に比べて自意識との癒着が激しいし、読む気になってもらえない文章は永遠に読まれないし。路上ライティングとかどうでしょう? 書いたやつをその場で朗読するんです。駅前辺りで。私はやりませんけど。

書くことは楽しいよ! と自信を持って言えるかというとそうでもなくて、まあ楽しい部分は大いにあるんですけど、苦しい部分 (出力の遅さとか表現の拙さとか) もそれなりにあり、向き不向きがあるよなあと思ったところで一段落目の問題に戻る。何もわからない。ピピピ (受信音)。究極の解決策として「文芸活動をしない」という啓示が出ました。本末転倒ですね?

 

解像度

昔ある新書で『言葉は、世界を示すものでなく、世界を区分するものである』と読んでとても納得したことがあって、今でもこの説を気に入っているんですけど、これは「言葉を得ることは、認識を広げることでなく、認識の解像度を上げることだ」とも解釈できます。現実は柔軟だという話です。あなたの世界はあなたのものです (怪電波)。それはそれとして、適切な解像度はどのあたりなのか、お客様の中に誰かご存知の方はおられませんか。

 

眠いので終わり。