上白糖、大盛りで

特に益はないです

2020-08-16

 私の世界には何人の人がいるのだろう、と少し考えることがある。統計でなく認識の話だ。

 例えば「世の中には2種類の人間しかいない、珈琲を飲む人と飲まない人だ」と思い決めた X 氏がいたとすると、彼は珈琲を飲む A 氏と珈琲を飲まない B 氏に出会うだけで世の中全ての人間を知ることができる。後日、珈琲を飲む C 氏と出会ったとしても、A 氏と C 氏とは本質的に区別が付かないし、恐らく付ける必要も無いだろう。つまり X 氏の世界は2人の人で成り立つことになる。尤もらしく言ってみたが、この帰結は私の実感と乖離する。

 「珈琲を飲む/飲まない」と一口で言い切ったのがまずいのかもしれない。そこで「世の中には5種類の人間しかいない、珈琲を『よく飲む人』と『どちらかと言えばよく飲む人』と『どちらとも言えない人』と『どちらかと言えばあまり飲まない人』と『あまり飲まない人』だ」と選択肢を増やしてみる。すると、X 氏はそれぞれの選択肢に対応する α 氏、β 氏、γ 氏、δ 氏、ε 氏に出会うだけで世の中全ての人間を知ることができる。この場合彼の世界は5人の人で成り立つことになる。さっきよりはマシだが、やはりまだ少ない気がする。

 珈琲以外にも注目するべき点があるのかもしれない。例えば「世の中には25種類の人間しかいない、『珈琲をよく飲み、紅茶をよく飲む人』と『珈琲をよく飲み、紅茶をどちらかと言えばよく飲む人』と......。

 冒頭の疑問にこれといった解決はない。ここ数年で気付いたのは、軸自体は案外際限なく見出せるものだということだ。