上白糖、大盛りで

特に益はないです

2021-07-12

 小学生のころ音楽鑑賞の授業があった。ミニコンポでクラシックを聴き自由に感想を書くという内容で、そこにどんな教育効果がどの程度期待し得るのかについては今でもよく分からないのだけど、ともかくそういう授業が何度かあった。当時は文章の構造を意識する習慣も特になく「最初のピアノの音がきれいだった」とか「次の部分は力強かった」など聞こえてきた旋律の印象を聞こえてきた順に書きつけていた記憶が何となくある。読書感想文で延々あらすじを紹介してしまうのと大体同じ機序だ。担任は「感想というより分析っぽい」と苦笑していたけれど、当人のほうは感じたことをそのまま書いたのだからこれは感想に他ならないだろうと首を傾げるばかりだった。

 最近は何を見聞きするにしても何を感想するのが適切かということをまず考えてしまい、これはこれで非常に悪い癖である。最初に問うべきは自分が何を感じ何を捉えたかということであって、感想なり主張なりが導かれるのはその問いにひとまず答えが出た後でなければならない。適切な感想を用意しその感想に整合するよう体験を解釈してしまうということは、その体験が自分に及ぼした影響を考慮しないということであり、それは体験から何一つ得なかったということだ。

 土曜日 Amazon Prime Video でスーパーカブを一気見したので感じたことを書いておく。くすんだ景色が色づいていく描写が(たぶん古典的でこそあれ)小気味よかったのとカブへの信頼が極厚で少し引いたのとが特に印象に残った。装備が揃うにつれ乗り心地が増す描写を見てバイクにハマる気持ちが少し察せた。淡々とした演出で世界への希望が描かれていて前向きな気分になれた。演出が細かいので一気見するのは少しもったいなかった。そのうちもう一周すると思う。