2021-09-01
今日は盛大に寝違え碌に手が進まなかった。私が寝違えるのは珍しいことなのだけれど、碌に手が進まない日というものはそれほど珍しくなく、そういう日の夜中には決まってこのツイートを思い出す。
夜更かしをする理由のひとつに、「今日という日に満足していないから」というのがある。充実しきっている日って、案外ぐっすり眠れるものだ。夜更かしがやめられない人ってのは、夜中まで必死に「充実」の遅れを取り返そうとしてるんじゃないか。ということを深夜につぶやく。
— 三秋 縋 (@everb1ue) 2012年12月24日
充実というものを「良い方向に進むこと」と言い換えてみると(良い場所に留まることを人はマンネリと言う)充実感というものは気の持ちようにひどく依存することが推論できる。良い方向とは何だろうか。どの程度の作用や変化があれば進んだことになるのだろうか。進むことがあれば戻ることもあるのだろうか。場合によっては回し車で事足りるということもあるかもしれない。
規則正しい生活は健康に資するのだから、夜更かしに励むよりさっさと寝てしまうほうが余程充実につながるような気はする。そんな気はするのだけど、そこまで割り切れない夜もあるのでこうして益体のない文を書いている。